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イチゴイチエ ~Once in a life time
せんせい7年目猛進中。 天職だと思う日もあれば、そうでない日もある。日々うたいつづっています。 
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 いつも理由をつけて見に行けない紅葉を見に行こうと思う。
どうも愛知県は、予報では23日がピークらしい。off(の予定)だし、足を運ぼうかと。

秋はもう晩期だが、熊本はまだ暖かいだろうか。
中学の合唱コンクールで熱を帯びていた頃や、高校の通学路を思い出す秋。
学生は時間がないと戯言を言いながら、十二分に楽しんでいたんだろうと振り返る。

秋はとても好きだ。

恵那に紅葉の素敵な風景を見つけた。年末への鋭気を養おう。

ふるさとの秋を思い出す。日本の本当の秋がすぐそこに。



 やがて秋  (立原道造「暁と夕の詩」より)

やがて 秋が 来るだらう
夕ぐれが親しげに僕らにはなしかけ
樹木が老いた人たちの身ぶりのやうに
あらはなかげをくらく夜の方に投げ
すべてが不確かにゆらいでゐる
かへつてしづかなあさい吐息にやうに……
(昨日でないばかりに それは明日)と
僕らのおもひは ささやきかはすであらう
――秋が かうして かへつて来た
さうして 秋がまた たたずむ と
ゆるしを乞ふ人のやうに……
やがて忘れなかつたことのかたみに
しかし かたみなく 過ぎて行くであらう
秋は……さうして……ふたたびある夕ぐれに――

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 最近は、差し迫った体育大会の練習に追われている。
特に、担任の生徒は能動的に物事を進めることが著しく苦手なため、こちらが気持ちを巻き込んでいかなければならない。体力勝負だ。

 残暑厳しいが、子どもたちのランニングに付き合っている。
もちろん走るのが得意な子ではないが、重い腰をあげて、運動音痴の自分と仕方なくやっているのだ。

 今日は本校まで、片道1,5kmの往復。
彼の種目は1500m走。できるだけ止まらずにペースを保ち続けることが目標だ。
汗を吹き出しながら、帰ってくる復路のこと。

 「はい、気をつけてくださいねー」

との声。通りがかり、新装開店した美容院から聞こえる。
よく見るとその声は、前任校の生徒だった。違反が懐かしい髪も伸ばし、ピアスもあけて、「今風」の容貌で働いていたのである。

 あまりにとっさの出来事だったが、自分はうれしくなり「おー○○、元気か!?」と声をかけた。
 すると、「あ、先生!何でここにおんの?」と返す。ちょっと眠たそうな声は健在だ。

 その後に、彼は、

 「ちょっとまってね、先生」

と続ける。出口で80くらいのおばあちゃんの見送りをしている最中だったのだ。


自分はしまったと思った。彼は自分と同じように仕事中であり、足の悪いおばあちゃんのケアをしている最中、自分のせいで手を止められていたのだ。

 「気をつけてね、おばあちゃん、段差ありますから」

 「あぁ、ありがとね、若いのに。こちらの方は誰なの?」

 「この人、俺の中学校時代の音楽の先生です!」

 「あら?この方、このお店の方じゃなかったの?(笑)」

などと、多少ちんぷんかんぷんな会話ではあったが、彼はしっかりとおばあちゃんとの話に華を咲かせ、対応していた。
最後までお客様を見送り、こっちを向く。「何で先生おるのー?」と。

 あとは、一緒に少し話をしたと思うが、彼の仕事の邪魔はできないと改めて思い、その場を失礼した。自分の中で、「ちょっとまってね、先生」の言葉が輪廻していた。

 すっかり一緒に走っていた生徒を忘れていた。彼もまた立ち止まり、自分たちの会話を聞いていたのだが、興味があったのか、「あのイケメンは何歳なの?」とか「いつの教え子なの?」などと、教え子が教え子に興味を持っている姿にまた不思議な気持ちになった。

 「俺もああやって美容院で働きたいなぁ。」

すばらしいことだと思った。
汗をかいて走った甲斐があったというものだ。


 何気ない生活の最中、ふと心の中をすうっと風が通ることがある。

 中学校生活はたった3年間、彼らの何を知ることができるだろう。知ってきただろう。

 こうやってはたらき、世界と関わろうとする姿を目の当たりにし、夕陽は一層まぶしく見える。


 「先生、走ってくれてありがとね。」

 と帰っていく彼。子どものうしろ姿を見ながら、また明日もがんばれると思う自分。


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子どもによく言うんです。

「当たり前のことを当たり前にできる人になりなさい」

と。


中学生のころは、当たり前なんて、そりゃあ挨拶だったり、礼儀だったり、部活を休まず行くことだったり、先生の言うことを聞くことだったり、テストの復習をすることだったり、
なんとなく言葉にすることができた。

けど、良い歳になり、だんだんその「あたりまえ」のことに、霞がかかってきている気がして。はっきりとした「あたりまえ」の定義を、ここに示すことができるだろうか。


身の回りにおける様々な事象は、あたりまえではないのです。

それを作用している(させている)なにものかの力があり、それに決して驕ることはできない。

わがままでは通せないのです。自分で動かねばならないんです。

人のために、そして自分自身の信念のために。



「当たり前のことを当たり前にできる人になりなさい」

という先生は、「あたりまえ」のことができているんですか?


自分は応える。

あたりまえのこととは・・・

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東日本大震災で壊滅的な被害を受けた気仙沼市。 

昨年3月22日、階上中学校の卒業式での

卒業生代表 梶原裕太さんの 答辞です。

NHKのニュースで一時話題となりました。

涙を堪えながら力強く読み上げる梶原さん。



その梶原さんの答辞の全文です。





本日は 未曾有の大震災の傷も 癒えないさなか

私たちのために 卒業式を挙行していただき

ありがとうございます。


ちょうど 十日前の三月十二日。

春を思わせる暖かな日でした。

私たちは そのキラキラ光る日差しの中を

希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を

五十七名揃って 巣立つはずでした。



前日の十一日。

一足早く渡された、

思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、

十数時間後の卒業式に
 
思いを馳せた友もいたことでしょう。

「東日本大震災」と名づけられる

天変地異が起こるとも知らずに・・・。


階上中学校といえば

「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、

十分な訓練もしていた 私たちでした。


 
しかし、自然の猛威の前には、

人間の力は あまりにも無力で、

私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました。
 
天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。
 
つらくて、悔しくてたまりません。


時計の針は 十四時四十六分を指したままです。

でも、時は確実に流れています。

生かされた者として

顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、

正しく、たくましく生きていかなければなりません。

 

命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。

しかし、

苦境にあっても、

天を恨まず、

運命に耐え、

助け合って生きていくことが、

これからの 私たちの使命です。



私たちは今、

それぞれの
 
新しい人生の一歩を踏み出します。

どこにいても、

何をしていようとも、

この地で、

仲間と共有した時を忘れず、

宝物として生きていきます。


後輩の皆さん、

階上中学校で過ごす

「あたりまえ」に思える日々や友達が、

いかに貴重なものかを考え、

いとおしんで過ごしてください。



先生方、

親身のご指導、ありがとうございました。

先生方が、

いかに私たちを思ってくださっていたか、

今になってよく分かります。



地域の皆さん、これまで様々な

ご支援をいただき、ありがとうございました。

これからも

よろしくお願いいたします。


お父さん、お母さん、家族の皆さん、

これから私たちが歩んでいく姿を

見守っていてください。

必ず、よき社会人になります。



私は、

この階上中学校の生徒で

いられたことを誇りに思います。



最後に、

本当に、本当に、ありがとうございました。


平成二十三年三月二十二日


第六十四回卒業生代表  梶原裕太





 「天を恨まず」 15歳の言葉です。


 今日は、あの悍ましい日から一年。

 不意に爆弾が落ちようが、

 背後から何者かに刺されようが、

 不治の病を患おうが、

 天災に命を奪われようが、


 自分でない限り、
 
 今、ここで欲を追うのが自分である。



 明日は分からない。

 そんなとなりあわせの死と、生きていく意味を、

 子どもたちに説いていく必要があるのではないだろうか。



「東北地方太平洋沖地震」により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
 
 被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。

 一日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。

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 本気で仕事をしていれば、涙のひとつやふたつ流れるだろう

 仕事で泣ける人は、きっと幸福


 そういえばそんな中吊り広告があったのを思い出した。眼が腫れている。



 「うるさい。あんたに何がわかるんだ!」
 「見てないのにその言い方はなんだ!証拠はあるんか?」

 ここに書けないような言葉を、何度も吐き捨てられた。
以前の自分であれば、真っ向から胸倉を掴み、有無を言わせず踏み倒して罵倒していただろう。
 そして、こういっただろう。

 「誰に対して言っとるんだ!」


 その答えは「人間」なのだ。

 この数年間の教員生活で知らないうちに植えつけられていた、「教師のプライド」。それは、この現場に来て脆くも崩れ去った。
 だが、それを悲観しない。そもそもそのプライドは正しかったのか?
 
 賛否は分かれるだろう。

教員として、毅然とした態度をとるべきだ。悪いことは悪いと示さなければならない。

生徒も一人の人格である。尊重するべきで、否定するような言葉は慎まなければならない。


 *



 彼は、とにかくお笑いが好きで、歌がすきで、しゃべることが好きだった。
登校してくるとすぐに自分のところへ駆け寄り、
「先生、昨日はどんなTV見ましたか?」
と、必ず自分へ尋ねた。しかも、美術で創ったこんなお面をつけながら問うのだ(笑)そして、大事そうにお面をつけて帰っていく。

 しかし当初、それは騒音以外の何ものでもなく、自分は否定し続けた。
クラスメイトを否定する、いじめる様子も見られたし、とにかく授業中の私語や、動作一つ一つに無駄が見られた。

「うるさい!今は何をする時間だ!」
「もっと考えて行動しろ!」

言葉の端々に、威厳を示そうとする自分の姿勢が見られた。恥ずべき言動だったかもしれない。

 だが知らない間に、youtubeの動画サイトで、お笑いを検索する自分がいた。
 
 知らない間に、彼の言うTV番組はチェックするようになった。

 「昨日寝ちゃって、見逃してさー」と掛け合いもした。

 なぜだか知らないが、涙が止まらなかった。

 卒業式の退場、彼も泣いていた。




 「 情緒障がい短期治療施設 」 

 たしかに自分はそこにいる。 常識が常識ではない生徒が存在する。

 感情を抑えきれずに、獣のように牙をむき出しこっちへ向かう子ども。
失神は日常茶飯事、薬で我をおさえながら、まわりの空気は読めず、悪口は平気でまかり通る毎日。

 教師の愛情だけではどうにも埋められない、親からの愛情。
ぽっかり穴のあいた、子どもたちのその「こころの鋳型」は、きっと一生自分は埋めきれないだろう。

 はっきり言う。埋めるつもりはない。

 ただ、
 彼らの生きていく道のすぐ側に、笑顔で毎日そっと立っていたいと思う。


 痛かったであろう、親から振り落とされたあの拳は、決して正義ではないと説きたい。

 365日の中で、たった一日だけ非道に走り、罪名がついた事実を共に受け止め暮らしたい。




「●●君がいると、静かな教室が明るく楽しくなります。どんな時も友だちを笑顔にする、君にはそんな力があります。これから先、困難な壁が立ちはだかるかもしれません。それらから逃げずに、自分の夢を切り拓いていってください。卒業おめでとう。」

 すっと所見の書けた通知表を渡し、彼は気が付くともういなかった。見たいTVがあったんだろうな。

 初めて経験する1人の卒業式。
 それは40人学級となんら変わりない、屈託のない中学生の旅立ち。

 これからの君の人生が光に満ち溢れていますように。

 身体には気を付けて。


 ~未来のお笑い芸人へ 

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