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イチゴイチエ ~Once in a life time
せんせい7年目猛進中。 天職だと思う日もあれば、そうでない日もある。日々うたいつづっています。 
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 久しぶりです。

 自分は、音楽教育と同じくらい、道徳教育に関心があり、双方はとてもリンクしていると考えています。心に向き合えない人間は、音楽を心から理解し得ないと思っている持論からです。

 今日はある作品をご紹介します。
この作品を通して、子供にかんがえてほしいこと、自分自身の落としどころなど、さまざまは浮かびますが、今日は個人的な意見は控えたいと思います。

 この作品を、いつか今赴任している職場の子どもたちに投げかけ、どう投げ返してくれるか問いたいと思っています。もちろんもっともっとお互いの心が育ってからですが。


 みなさんはどう感じますか。




 わたしの母の顔、正確に言えば、右のほお一面が大きくただれています。それはやけどのあとです。どうしてやけどしたのかと聞いたこともありましたが、母はいつも笑いながら、子どものころやかんをひっくり返してこうなったのだ、と説明してくれていました。
 でも、わたしは母のやけどのあとが大きらいで、小学校に入ったころから、なるべくお友達に見られないように、いつも心をくだいていたのです。「あなたのお母さん、お化けみたいね。」と言われるような気がしてならなかったのです。ですから、PTAなどの集まりの時にも、母に、「学校には来ないでよ。」と言い続けてきました。いっしょにお使いに出かけたときでも、向こうからお友達がくると、わたしはずうっと母からはなれて、まるで他人のようなそぶりをとってきました。
 今思うと、どんなに母はさびしく、うらめしい気持ちだったことでしょう。
 お友達の誕生日に呼ばれることは何回もありましたが、わたしの誕生日は。いつも父と母とわたしだけでした。「たまにはお友達を呼んだら?お母さん、おいしいケーキを作ってあげるわよ。」と母が言ったこともありましたが、「そんなこと、はずかしくてお友達なんか呼べないわ。」とわたしがおこったので、翌年からは、母は何も言いませんでした。

 先月のことです。家庭科の宿題を置き忘れたまま、学校へ来てしまいました。ゆうべおそくまでかかってぬったのに、朝ねぼうしてあわてて家を出てきたからです。一時間目の途中で気がつき、家に取りに帰ろうかどうか迷っていました。家庭科の授業は三時間目。先生のお話もよく耳に入らないまま、一時間目が終わり、休み時間になりました。
 そのとき、だれかが「ね、英子さん、お母さんが廊下に来ているわよ。」と言いました。わたしは、ほっとした気持ちと同時に「そうだ、お母さんの顔がみんなに見られてしまう。」という気持ちとがごちゃごちゃになって、廊下に飛び出しました。
 廊下には、母が宿題を持って立っていました。「英子ちゃん、これ、忘れたでしょう。」とふろしき包みを差し出しました。わたしは廊下を通る人たちが、みんなして母のやけどを見つめているような感じがして、顔が真っ赤になりました。
 
 「お母さん、学校へ来ちゃだめって、あんなに言っておいたでしょう!」

とどなりました。
 母は、にこにこしながら「そう、わかっているけど、でも、これ宿題でしょ。せっかく夜おそくまでがんばったんだもの、忘れて困っていると思って。」と言いました。
 わたしは、その包みを乱暴にうばい取って、

 「そんなお化けみたいな顔で、いつまでもいないでよ!」

と、またどなり、後ろもふり向かずに教室にかけこんでしまいました。
 席に着いてからも、しばらくは気が落ち着きませんでした。お友達に母の顔を見られたのが、とてもたまらなかったのです。つらい気持ちで帰っていく母の心を思う余裕など、全くありませんでした。あっちでもこっちでも、母のやけどについて、みんなが陰口をきいているのではないか、気の重い、それはとても長い一日でした。

 そして、その日、夕飯が終わった後のことです。
 父が「英子、おまえに話しておきたいことがある。」と言いました。わたしはすぐに今日のことだな、と思いました。しかし、父はそのことにはひとこともふれずに、静かに話し始めました。
 「おまえがまだ一歳のときの冬だった。お父さんは宿直で、その晩はお母さんとおまえの二人だけだった。夜中、『火事だあ。』という近所の人の声で、お母さんが目を覚ますと、もう周りは真っ赤になっていた。となりの家から火が出たんだね。家がくっつき合っていたから、すぐにうちまで火が回ってしまったんだよ。おどろいて飛び起きたお母さんは、ねまきのまま、おまえをだきかかえた。おまえは、わぁっ、わぁっと泣きさけぶ。これをつかんで、夢中でにげようとしたが、どこも火に包まれてにげ場がない。とっさにお母さんは、おまえを下に置いて、毛布を持って火の海のふろ場に行き、毛布を水にぬらし、またもどり、それでおまえをすっぽり包み、しっかりだきしめたまま、ほのおの中をくぐって、やっとのことで、表ににげ出すことができたんだよ。」
 「英子、お母さんの顔をよく見てごらん。そのやけどはね、実は、そのときのやけどなんだよ。」
 わたしは、初めて聞くそのお話に、息もできませんでした。母は「お父さん、もう、そんなお話、昔のことだからいいのよ。」と、うつむいたまま言いました。
 「うん、しかし、いつかは話しておいたほうがいいと思ってね。」
 「英子、なんで、今まで本当のことを言わなかったのかと言うとね、お母さんが『わたしのやけどが、英子ちゃんを助けるためにできただなんて、もし思うと、なんだか気になるだろうし、いつまでも心に負担が残るんじゃないかしら。』って、ずっと言い通してきたから、つい今日まで、自分でやかんをひっくり返してやけどしたっていうことにしておいたんだよ。」
 「英子、おまえの顔が、そしてはだが、すべすべしていてこんなにきれいなのも、お母さんが、ぬれた毛布でおまえを包み、しっかりと抱きしめたまま、必死で逃げてくれたからなんだよ。だからね、お父さんは、いつもお母さんのやけどを見ると、心の中で『ありがとう、ありがとう。よく英子をきれいなままで救ってくれた。本当にありがとう。』ってお礼を言っているんだよ。」
 
 わたしは、後から、後から流れてくるなみだをどうすることもできませんでした。
 「ちっとも知らなかった。ちっとも知らなかった。」
 わたしのほおは、もうなみだでグシャグシャになっていました。
 
 「お母さん!」

 母のひざに飛びついたわたしは、顔をそこにうずめたまま、まるで小っちゃな子どもみたいに、ただ「お母さあん。」「お母さあん。」と泣きじゃくるばかりでした。「お母さん、ありがとう。」も「今までのこと、ごめんなさい。」も、胸がつまってしまって言葉になりませんでした。
 「いいのよ。英子ちゃん、もう、いいのよ。」
 母はそう言いながら、わたしの髪を、何回も何回も、優しくさすってくれていました。




 (できましたら、考えられる問題提起やご感想などを寄せていただけますと幸いです。)

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